国 際 理 解     第26号    2002年8月20日(1)
 平成14年度海外派遣教員を励ます会


  平成14年3月9日(土)に上記の会が,岡山ルネサンスビル2Fチャイニーズレストラン福幸で開かれました。当日は結婚式がたくさん入り,例年と違った新しい会場でした。
 参加者は32人で,今回派遣される6人の内3人が参加されました。それでは,以下に会の様子をお知らせいたします。




     満和久先生は,倉敷市琴浦西小学校からヨハネスブルグ日本人学校に派遣されます。先生は本会が, 全国大会を開催した時に,就実大学の会場に参加して以来,いつかはご自分も海外にとの夢を持ち続けておられたそうです。4月1日にその時担任した子 ども達の同窓会があり,夢が実現したことを報告したいと喜んでいました。日本からパック旅行のようにはなかなか行けない国なので,殺人事件率が世界一という不安はありますが,良い経験をしてきたいと決意を述べられました。
  

  桑本康則先生は,早島町早島中学校から台中日本人学校に派遣されます。3カ月の赤ちゃんとともに 行くということで,原体験が外国というお子さんに なるわけです。担任している中3の生徒に「先生はよく漢字を間違える」と言われたそうで,漢字の国 に派遣されるのも勉強せよとのことかなと思われた そうです。台湾は,食べ物がおいしい国ですが,お腹をふくらませるだけではなくて,中身もしっかりふくらませて帰りたいと述べられました。



   田中耕二先生は,和気郡藤野小学校からワルシャワ日本人学校に派遣されます。6月に奥様がご出産予定ということで,8月までは単身赴任となるそうです。派遣国で出産されるかどうかを,本会や文部科学省の参加者にたずねたところ,ちょうど半数ずつに意見が分かれていました。決定を知った時,ポーランドという国になじみがなくてポルトガルの本を買ってしまったということでした。

 


今回の壮行会には,参加できませんでしたが,もう3人の先生方も次のように抱負を述べられていました。
  全員の先生そしてご家族の皆様のご健康とご活躍をお祈りいたします。
 
     国 際 理 解     第26号    2002年8月20日(2)

 鳥居恭治先生は,岡山市桃丘小学校からジョホール日本人学校に教頭として派遣されます。先生は,壮行会当日が健診にぶつかって欠席でした。岡北中学での恩師でもある熊代剛士先生や,片山主計先生が大変残念がっておられました。鳥居先生は,楽しみにしていることとして,マレー語と英語と中国語の3カ国語がどのように使われていて,自分で使い分けたら良いかということや,赤道に近いため太陽が北や南を通ることを観察したいということなどを話されていました。
 小坂誠彦先生は,岡山市南輝小学校からアムステルダム日本人学校に派遣されます。先生は,壮行会当日急な生徒指導上のことで欠席でした。先生のお兄さんが,海外青年協力隊で活動していたので,ご自分も何か役に立ちたいと願っておられたそうです。何が自分に求められているかをつかみ取って,がんばりたいとのお話でした。
 藤森卓麻先生は,和気郡和気中学校からリマ日本人学校に派遣されます。先生は,壮行会当日,体調を崩されて欠席でした。名前が元大統領と同じで文部科学省からも注意があったとか,国語の担当ということで,海外で日本語を大事にしていきたいそうです。ペルーは日系の移民が多く,日本の文化がどんな形で息づいているかを見てきたいというお話でした。 
 今回の壮行会では,会員の先生方から貴重なお話がたくさんありました。最後にいくつかを紹介します。
 藤井昭平先生 つけてもらった名前が先を見越していた。昭和47年に県の学事で第1回目の派遣に奔走したが,数えれば今回がもう30回目になる。
 
服部誠 先生 今はインターネットの普及によって歴史が大きく変わっている。しかし,海外に赴任しても,ただ日本から遠いだけで,いつも日本を向いたようではいけない。どっぷりと海外生活につかってほしい。 

武泰稔 先生 本会の会員は,帰国後も積極的に,このような会に顔を出しましょう。このごろはインターネットによって,身近な同僚よりも海外の派遣者の方が,よく情報交換していることさえある。
 熊代剛士先生 現地では,色々歩いてみること。あらゆることに興味を持つこと。夫婦共にがんばること。そうして,行きの心細い涙から帰りの後ろ髪を引かれる涙に変えてほしい。

 片山主計先生 海外での経験を,岡山に帰ってからもぜひ生かしてほしい。海外では,24時間勤務と思って,岡山県の代表としてがんばってほしい。本研究会は,総合的な学習の時間の中で,注目される国際理解教育を,常に一歩進めて研究していくことが望まれる。

 尾崎達 先生 春は,梅・桃・桜ときれいな花を咲かせるが,それぞれ開花時期が違う。派遣される教員も,それぞれ個性があり,その持ち味が実を結ぶ時期も違うだろうが,自分を信じてがんばってほしい。

 神田進 先生 本研究会のホームページができているので,時々アクセスしてみてほしい。原稿依頼もあるし,何かトピックスがあれば送ってきてほしい。
 
     国 際 理 解     第26号    2002年8月20日(3)

 平成14年度帰国教員歓迎会

  平成14年6月1日(土)に上記の会が,アークホテルで開かれました。当日は武元会長,熊代元会長はじめ43名の会員が出席し総会の後9人の帰国教員から貴重な現地での体験が報告されて有意義な会となりました。 (バンドン日本人学校から帰国された畦崎先生ローマ日本人学校から帰国された櫻井先生は所用のためご欠席でした)





  元長重人先生は,バルセロナ日本人学校に派遣されました。赴任当初はバルセロナが揺れていると聞いて,本当に地震があるのかと思ったそうですが,校内の情報管理などの問題が起こっていたので,それもすぐ落ち着き,充実した4年間を過ごされたそうです。また,奥さんは3人目のお子さんを出産されて,良い思い出ができたそうです。 




  藤枝茂雄先生は,メキシコ日本人学校に派遣されました。メキシコは岡山と縁が深く代々岡山からの派遣教員が続き在留日本人も岡山出身者が多いそうです。また,メキシコ国民も日本に友好的で,常に笑顔で接してくれるそうです。片や日本に帰国し,あいさつが少なく無表情なのにがっか  りし,寂しいと感じられたそうです。




  乗峯憲悟教頭先生は,カイロ日本人学校に派遣されました。電話の不通や停電は日常的で不便な生活の中にも,バスに乗れば,どこで降りても良いとか,年輩にはすぐ席を譲る,荷物を持ってあげるなどあたたかい国民性だったそうです。また,学校日誌の天気記入欄には,毎日晴れという文字が並んだそうです。




 半澤秀行先生は,ジャカルタ日本人学校に派遣されました。昨年度は,6年生を担任していて,修学旅行の前に,アメリカの同時テロが起こり,国民のほとんどがイスラムのインドネシアは,反アメリカとなり,10月から11月に延期したそうです。また,旅行地のバンドンまで行く鉄道の線路が直前に6qも盗まれて鉄として売られたという事件も起こって,ぎりぎりで実施できたということでした。



 小原久美先生は,上海日本人学校に派遣されました。岡山からの直行便も週3便に増え,益々身近な上海は,3年間で大変化し,日本人学校も500人が900人と大きく 増えたそうです。帰国後,津島と伊島小で日本語教室を担当し,やりがいがあると意欲的なお話をされました。
 
     国 際 理 解     第26号    2002年8月20日(4)

  田村嘉啓先生は,バンコク日本人学校に派遣されました。バンコクは,大都会で交通渋滞で有名です。しかし,日本 に帰ってタイのことを,ジャングルの中で勉強を教えてい たのかとか,タイ語で教えていたのかと聞かれて,がっく りくることが多いそうです。タイの子ども達は,目つきが鋭いけれど,日本の子は今に満足して覇気がないと感じられたそうです。 






  北川和美先生は,シンガポール日本人学校に派遣されま した。腰痛になった時に,漢方マッサージに行き,たった 20分1000円で,患部が温かくなり治ったそうです。色々 なところで中国3000年の歴史を感じられたそうです。 





  山本敏樹先生は,ペナン日本人学校に派遣されました。現地で3人目の男のお子さんが,誕生したということでした。日本に帰っても,熱帯で育った習慣で,ふとんをかけないで寝てしまうので困っているそうです。





  中川健二先生は,デトロイト補習校に派遣されました。 現地の高校を借りて土曜日に授業をしておられたのですが 安全確保に気を遣い,私服警官を2人採用していたそうで す。アメリカは高速料金が無料の上,ガソリン代も日本の 3分の1で済むため,自動車でアメリカ中を旅行されたそ うです。アメリカを通して,色々な国を知ることができたことも大変良かったということでした。



  






また,先輩の先生方からのお話として 「貴重な体験を風化させることなく,国際理 解教育にがんばってほしい」「国の境があるから世界の人が不幸になって いる面がある,境をなくすことが課題だ」「子ども達の進路指導が,海外体験を生かし て3次元の目でできる」「わずか3年ほどのブランクでも,帰国して時代の波を感じることであろう。これから の子ども達の育成に,よりよく生きる力をつけるためがんばってほしい」などがありました。


  最後に,12月10日久世で予定されてい る,本年度の研究会について,苅田先生から説明がありました。